犬の皮膚軟部組織肉腫の組織学的グレードについて
軟部組織肉腫について
軟部組織肉腫(soft tissue sarcomas = STSs)は軟部組織を構成する間葉系細胞由来の悪性腫瘍を一つのグループとして分類したものです。
ちなみに軟部組織の定義ですが、成書における説明を簡潔に纏めると「広義には骨以外の非上皮性組織を意味するが、通常はこれからリンパ網内系、中枢神経系、および種々の実質臓器の支持組織を除く」となります。
参照する成書によっても若干記述が違うため詳しく説明すると非常に長くなりますが、大雑把に線維組織や脂肪組織、筋肉、末梢神経、血管やリンパ管などと認識して頂ければ大丈夫です。
また軟部組織の間葉系腫瘍のうち、どれをSTSsに含めるかも細かな見解の違いがありますが、代表的なものとしては線維肉腫、血管周皮腫、悪性神経鞘腫、脂肪肉腫などが挙げられます。
これらは組織学的にある程度共通する特徴を有しているためしばしば鑑別が困難であり、加えて臨床的挙動や予後傾向にも共通する点が多いことから、STSsというグループ名を用いての分類が実利的な面で有用です。
そのためSTSsというグループを対象とした腫瘍研究が古くから盛んに行われており、とりわけ最も発生頻度の高い皮膚や皮下のSTSsに関しては多数の研究報告が存在します。
多くの報告があるためデータにもやや幅がありますが、犬の皮膚STSsの臨床的特徴をざっくり言いますと
- 局所浸潤性が強く境界不明瞭なため、保存的な外科切除では比較的再発しやすい
- 転移率はそれ程高いものではない(17%~20%強)
- 血管を通じての転移が多く、リンパ節転移は少ない
- 化学療法や放射線療法への感受性は低い
といった特徴があるとされています。
但しこれらはあくまで全体的な傾向であって、大きさや切除し易さなど様々な要因により個々の症例の挙動や予後は変わります。
今回の記事では挙動や予後に大きな影響を与える要因の一つである、組織学的グレードに関してご紹介いたします。
犬の皮膚軟部組織肉腫の組織学的グレード
初めにお伝えしなければならないことは、このグレーディングシステムは犬の皮膚や皮下に発生した軟部組織肉腫が対象、ということです。猫の軟部組織肉腫や内臓の軟部組織肉腫などには適用されませんのでご注意下さい。
Trojaniらによって提唱された組織学的グレーディングシステムでは、次の三つの項目からグレードが判断されます。
- 分化の程度:成熟した正常組織に近い(高分化)か、元の組織の特徴を失うほどに未熟(未分化)であるか
- 核分裂指数:強拡大像10視野中に観察される核分裂像の数
- 腫瘍の壊死:腫瘍組織全体に対する壊死の割合
これらの項目をそれぞれスコア化し、その総合によってグレード I ~ III に分類されます。
まず分化の程度ですが、これには高分化・低分化・未分化の三つの基準が設けられており、それぞれ1~3のスコアが付けられています。
この判断は主に構造異型の観点から行われ(通常はそれに比例するように細胞異型も伴いますが)、正常組織の特徴からかけ離れていくほど分化が低いという評価になります。
次に核分裂指数ですが、これは9以下・10以上19以下・20以上と三段階に区分され、これにも1~3のスコアが付けられています。
最後に壊死ですが、これは全体のうち壊死している腫瘍組織の割合によって無し・50%以下・50%より上の三段階に区分されています。
これに関しては前二者と違いスコアは0~2となっています(全て1~3で統一している文献もありますが)。
以上三つの項目のスコアの総合が3以下でグレード I、4-5でグレード II、6以上でグレード III と分類されます。
次の項から、それぞれのグレードにおける臨床的挙動の統計データをご紹介いたします。
STSs グレード I
犬の皮膚STSsではグレード I に分類される症例が最も多いとされています。
このグレードでの再発率は低く、外科的マージンが完全に確保された(原文:surgical margins are complete)切除(この記事内ではこれを「完全切除」と表現します)において再発することは稀とされています。
また、外科的マージンが腫瘍マージンに接する状態(原文:surgical margins are close)での切除(この記事内ではこれを「辺縁切除」と表現します)でも、再発率は7%(3 of 41)であったと報告されています。
同様に他のグレードに比べて転移率も低いことが示唆されており、リンパ節・肺への転移率は7~13%(複数の報告を纏めたもの。以下、%に幅のあるものは同様)とされています。
もちろんこれは統計上の傾向や確率の話であって「グレード I だから安心だね」という訳にはいきませんが、危険性を計るための目安にはなることと思います。
STSs グレード II
グレード II はグレード I の次に多くみられ、この二つが犬の皮膚STSsの大部分を占めています。
グレード II においても、完全切除における再発は皆無でないにせよ稀とされています。
但し辺縁切除での再発率はグレード I より高く、35%(14 of 41)と報告されています。
また、やや幅が広いもののグレード I に比べ転移率も上がり、7~33%とされています。
但しグレード I と II の転移率に関する統計学的比較は、転移した症例数の少なさやステージのバラつきなどの影響があって難しいと記述されています。一見グレード II の方が高く思えますが、統計学的に有意な差があるかは不明ということになります。
STSs グレード III
グレード III は最も少なく、犬の皮膚STSsの7~17%と報告されています。
グレード III では、完全切除における再発が認められるものの頻度は少ないと記述されています。
しかしながら辺縁切除での再発率は75%(3 of 4)と報告されています。またグレード III のSTSsは、他に比べて完全切除が困難であることが懸念されます。
転移も最もよくみられ転移率は22~44%と報告されています。
但し転移率に関しては正確さにやや欠けた計測、異なる治療を行った群での計測との指摘もあり、より大きな母数を集積しての解析が望まれています。
総括
上記で示した通りグレードが高いほど辺縁切除時の再発率は高くなりますが、完全切除においてはいずれのグレードでも再発が非常に起こり難くなっています。
STSsが疑われる腫瘍の切除に際しては、外科的マージンを可能な限り広く設定することが肝要と考えられます。
またグレードに比例して転移率も高くなる傾向にあると思われますが、生存期間に対しての影響はどうでしょうか。
実はこれについては相反する見解があり、影響があるとする報告も無いとする報告も存在します。滑膜肉腫はグレードによって明確に生存期間が異なるとされますが、これをSTSsに分類するか否かも議論が分かれるところです。
皮膚STSsのグレードが生存期間に深刻な影響を及ぼさない理由として、増大が緩徐なため局所コントロールが比較的容易であること、また転移病巣の増大も緩やかであること、年齢が高い犬に多いためSTSsが致命的になる前に他の原因によって死亡するケースが多いことが考えられています。
また生存期間への影響に関する研究として、核分裂指数(MI)をファクターとした統計比較があります。これによると生存期間中央値はMIが10未満で1444日、10-19で532日、20以上で236日と報告されています。但しこの研究も、グレード III の転移率の報告と同様の理由で正確さを疑問視する見解があります。
このように生存期間に対してはグレードの他にも多様な要因(年齢、臨床的ステージ、適用された治療など)が影響していると考えられ、一つのファクターでの比較結果をそのまま予後予測として鵜呑みにすることはできません。
しかしながら再発や転移といったQOLに影響を及ぼす事象と深い関係があることは示唆されていますので、組織学的グレードの評価は決して軽視できない大きな意味を持っていると考えられます。